本来の戦場じゃない場所で60年か・・・
別ブロで少し振れましたが、歩兵第30師団は、再編成と新編成の二線級師団です。(名目上甲編成、実際は欠員部隊のあるままの出征だったんですよ。その割には、よく戦ったのは事実ですが、防御線の攻防ではあっさり壊走してしまいました。まあ、仕方ないですね)
問題なのは、師団所属の歩兵連隊はすべて朝鮮で編成または再編成された(福山連隊はあのマレーの競争に参加し、その後ニューギニア戦線で死のスタンレー越えで戦力外になり、平壌で第5師団の下から離れ30師団に上部師団が移ったんですね)部隊だということですわ。
要するに関東軍の後詰として、対ソ連および八路軍用の訓練しかしてなかったんですから。
泥縄の戦略がよくわかる話です。(ちなみに志願朝鮮兵も当然多数所属しておりました)
対北方戦専門部隊として、近衛師団すら舌を巻いたという機動歩兵第2連隊と同じように、大本営にすりつぶされた部隊な訳です。
(フィリピン戦は、詳細を以前に日本出版社から刊行した本で解説してたな。15年位前になるか)
☆補足事項(29日記述)
御二人は捜索第30連隊所属だったんですね。密林戦には慣れていなくても、ゲリラ戦術は会得していて当然だったわけです。
別ブログ(雑記帳)に捜索連隊に関する説明を書いてますので、そちらを参照していただければ幸いです。
なお、四十数名の旧日本兵がいるという情報、ほぼイスラムゲリラ組織の、マスコミ誘導情報と思ってください。おそらく、インドネシアを含めてもそれほどの数に達しないはずです。
マスコミを誘拐しようというための情報だと私は考えておりますので、日本のフリージャーナリストは警戒してくださいよ。(特に知人関係)
ちなみに、私は今、、虫眼鏡で士官学校の卒業名簿を眺めています(暇人)
☆補足終了
帰還そのものについては、本人たちの意思を尊重すべきでしょうが、終戦の辺りの経緯は、あまりほじくらないでやって欲しいな。
暗部を明らかにするのだけが、戦争の真実を語り、過ちを繰り返さないための手段じゃないですから。
まあ、旧軍に従軍した人間に十人以上取材した経験があれば、私の言いたいことは判ると思うのですが、今の若い人には、伝わらないのでしょうね。
●朝鮮籍の男子徴兵は、フィリピン上陸時点では、まだでした。